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アイリス物語

2014年は、アイリスオーヤマがプラスチック製品の下請け町工場として創業してから56年。
現代表の大山健太郎が社長に就任してから50年の節目の年です。
「アイリス物語」では、アイリスグループの歴史を連載でお届けします。

第三十話立ち上がれ家電戦士。大阪R&Dセンターの設立

当社は2012年に家電事業に本格参入しました。突然のことと驚く方も少なくなかったようですが、 当社は以前よりホームセンター向けの事務用品としてシュレッダーやラミネーターを開発していました。 また、LED照明事業を通じ、電源設計や電子部品を取り扱うノウハウを蓄積していました。このように電気・機械関係の技術者が社内に育ったこと、また、筺体の多くが出身業種のプラスチックで作られていることなどから、家電はチャレンジし甲斐のある事業と判断したのです。

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この家電事業への取り組みも「ジャパンソリューション」に繋がると健太郎は考えていました。 当時、多くの国内家電メーカーが韓国や台湾などの海外メーカーに押され大苦戦をしていました。 数千名単位での人員削減や、家電事業そのものの売却などのニュースがメディアを賑わせ、優秀な技術者の失業や海外流出が社会問題となっていました。 当社が家電事業に取り組むことで技術者たちの雇用・活躍の場を創出でき、またユーザーインの商品開発によって日本の家電業界を盛り上げることができれば、 大きな社会貢献になると健太郎は大いに意気込みました。

ところが、予想に反して家電技術者の採用は困難を極めました。 家電メーカーの開発拠点は関西に多く、生活の基盤を当社のある宮城県に移すことをためらう方が多かったのです。 特に大手メーカーに勤めていた方ほど、まさか自社や自分が買収・リストラに見舞われるとは考えておらず、関西に住宅を購入していました。

そこで健太郎は「拠点に人を集める」のではなく、「人のいるところに拠点を作ろう」と発想を転換します。 JR/地下鉄/私鉄各線が乗り入れる大阪駅前に、開発拠点として「大阪R&Dセンター」を設けることとしたのです。 新拠点設立のニュースは新聞やTVで大きく取り上げられ、大手電機メーカーやその下請け先から応募が殺到。 電子レンジや冷蔵庫、エアコンや洗濯機など当社にはないノウハウを持つ多彩な人材が集いました。

採用者一人ひとりに辞令を渡す健太郎。 採用者一人ひとりに辞令を渡す健太郎。
現・大阪R&Dセンター長の真野(写真右)も大手電機メーカーからの転職組だった。

面接では前職での肩書・年齢よりも、ものづくりの最前線に立ちたいという意志・意欲を重要視しました。 あるメーカーでは、40代を過ぎるとマネジメントが中心となり、開発や設計の実務から遠ざかることがほとんどのようでした。 そのような中でも、もう一度自らの手でデザインがしたいと一念発起した人材や、若手と肩を並べて現場で開発したいといったベテラン技術者など、 ものづくりに一際強い想いを抱く人材が集まり、私たちの仲間に加わりました。

家電開発の中枢となるアイリス心斎橋ビル 家電開発の中枢となるアイリス心斎橋ビル

入社当時は一様に、前職と異なる仕事の進め方やスピードに戸惑う様子が見られました。 しかし、生え抜きの技術者とキャリア社員が互いのよさを認め、助け合う中で次第に実力が発揮され始め、 大阪R&Dセンターから「リクック熱風オーブン」や「銘柄炊き炊飯ジャー」、「花粉空気清浄機」などこれまでにない特長を持った製品が生まれました。 また、キャリア社員からセンター長やマネージャーなど重要なポジションに抜擢される者が増えていきました。その後も毎月のようにキャリア社員が加入。 当初の事務所はあっという間に手狭になり、2013年に新たに心斎橋の目抜き通りに「アイリス心斎橋ビル」を取得し、移転に至りました。

健太郎が彼らに託すミッションは、常に生活者の目線で「なるほど」のある商品を開発することです。 これまで白物家電の多くは、4人以上の家族を想定して開発されていました。しかし世帯数の60%を少人数世帯が占めるようになり、高齢者の独り暮らしも年々増えています。 「超軽量コードレススティッククリーナー」や「2口IHクッキングヒーター」などのヒット商品は、そのような変化を見つめるなかで生まれました。

日本のメーカーだからこそ、日本の生活様式に合う製品が開発できるはず。今後も生活者の不満を解消する「なるほど家電」の開発により、日本の家電市場に新しい風を吹き込み続けます。

(第三十一話に続く)