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アテネオリンピック壮行会を開催

大山社長より、「アテネオリンピック出場おめでとうございます。ボート競技というのは、実力通りの結果しか出ない競技です。それゆえにサプライズは難しいかもしれませんが、岩本選手のベストを尽くしてきてください。期待しています。」との激励を頂き、引き続き角田市の佐藤清吉市長様からのご祝辞、東北大学医学部附属病院・黒川様の乾杯の音頭の下、壮行会が始まりました。 大山社長より激励
大山社長より表彰状の授与・功労金の贈呈 壮行会では、大山社長より表彰状の授与・功労金の贈呈が行われました。
岩本選手は、連日の練習や移動の疲れも感じさせず、終始リラックスした表情で壮行会に臨んでいたようです。
そんな岩本選手はどんな女の子だったのか、長野よりお見えになっていた岩本選手のご両親に話を聞いてみました。
「亜希子は4人兄弟(兄・姉・弟)の真ん中でした。中学校までは水泳をやっていましたが、もともと美術・音楽関係が得意だったので、将来もそちらの道に進むのかなと思っていました。まさかオリンピック選手になるとは思っていませんでした。亜希子がボート競技を始めたきっかけというのは、姉が高校でボート競技をやっておりまして、姉の応援に2人で行きました。その時、姉のボートがひっくり返って心配になって様子を見に行ったところ、偶然ボート部の顧問の先生の目に亜希子が入ったらしく『ぜひ、うちの高校にきてボートをやってみないか?』と誘われたのが始まりですね。最近は合宿や試合の連続で長野の実家になかなか帰る機会がないので、携帯やパソコンのメールで連絡を取り合っています。私たちは『素直であれ。周りの声が聞こえるように』というように育ててきましたので、これからも今のまま素直でいてくれれば、やりたいことをやらせてあげたいと思っています。」 岩本選手のご両親と大山社長
岩本選手の手にはたくさんのまめが・・

ボート競技では、オールに力を伝えるために手のひらによくまめができるそうです。岩本選手の手のひらにもたくさんのまめができていました。
「これでもまともになってきたほうですね。(笑)ひどいときは手のひらがぐちゃぐちゃになってしまい、片手で生活するなんてときもあります。練習や試合で手袋も使っているんですが、ほとんど1シーズンもたないですね。」岩本選手は手のひらのまめをを増やして努力を重ね、勝利を掴んできました。手のひらのまめは、その勝利の証かもしれません。

岩本選手の手にはたくさんのまめが・・「学生時代に出場したシドニーオリンピックは、オリンピックに出場するという実感がほとんどなく、また参加することが目標でした。今回は、社会人という立場の変化があり、責任感が生まれてきたと思います。そのことで周りからはプレッシャーじゃないのとはよく言われますが、生まれつきポジティブシンキングなので、(社会人という責任感を)プレッシャーと感じたことはありません。調子も上がってきているので、オリンピックでは自分のベストを出してきたいと思います。」

岩本選手より決意表明 壮行会の最後に、岩本選手より決意表明がありました。「本日はお忙しい中、誠にありがとうございます。2年前、自分の進路に迷っていた時、絶対に後悔しない道を選ぼうと思い、この宮城の地にやってきました。今、私の選択に間違いがなかったと強く思っています。また、今まで支えてくださった会社の皆様に大変感謝しています。ボートを始めて10年になりますが、アテネオリンピックではその10年間の全てをぶつけてきたいと思います。皆さんの声援を力に変えてアテネオリンピックでは全力を尽くしますので、これからも応援よろしくお願いします。」
岩本 亜希子
出身地 長野県諏訪市
入社日 2003年4月
所属部署 人事部教育課
主な戦歴 2000年シドニーオリンピック女子軽量級ダブルスカル14位
  2002年釜山アジア大会女子ダブルスカル銀メダル
  2003年わかふじ国体女子シングルスカル優勝

(更新日:2004/07/26)