IRIS OHYAMA アイリスオーヤマ

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アイリス物語

2018年は、アイリスオーヤマがプラスチック製品の下請け町工場として創業してから60年。
「アイリス物語」では、アイリスグループの歴史を連載でお届けします。

第十三話海外市場への進出

1992年には米国のレイクショー社をM&Aし、IRISUSA.incを設立します。当初の事務所はシカゴにありました。設立当初のIRISUSAはメーカーではなく、海外で流通している商品を日本に提案・輸出する商社の機能を担っていました。業績は好調に推移。1994年にはドッグフードの輸出を増やすために、メーカーの近くに新しい拠点を立ち上げようという構想が持ち上がるまでになっていました。

一方その頃日本では、看板商品であるクリア収納ケースが激しい価格競争にさらされていました。あっという間にコピー商品が氾濫し、供給過多になっていました。需要と供給のバランスが完全に崩れ、投げ売り合戦が始まります。 「これでは、オイルショックの時の二の舞だ―。」そう考えた健太郎は価格が安くなければ駄目だという小売店からは手を引くことにしました。しかし、そうすると設備や金型が余り始めます。そこで健太郎はアメリカ市場への挑戦を決意します。「アメリカは家が広く、大きなクローゼットがある。しまうことに不満はないかもしれないが、探す不満は必ずある。」

ストックトン工場オープニングセレモニー ストックトン工場オープニングセレモニー

そのような経緯で、輸出拠点の新設という構想は、アメリカ市場向けの生産販売拠点というビッグプロジェクトへと変貌しました。建物はストックトン(カリフォルニア州)の既存の工場を買い上げ、持ち込んだ射出成型機・金型は日本で余っていた償却が済んだもの。初期コストを最小限に抑えながら、1995年よりIRISUSAストックトン工場が操業を始めました。

ストックトン工場立上げに赴任した伊藤 ストックトン工場立上げに赴任した伊藤

立ち上げメンバーは日本から派遣された10名の若手と現地採用の社員たち。派遣された社員たちは当初ほとんど英語が話せませんでした。現在は日本の購買課で勤務する伊藤もその一人。「当初は現地採用の社員に日本語教育をし、日本語でマネジメントする予定だったのですが、うまくいかなくて。」 それでも、彼らの頑張りにより現地採用社員とのチームワークや工場の生産性は徐々に高まります。「仕方がないので、赴任前に半年間受講した英会話教室での内容を頼りにコミュニケーションを取っていきました。満足に言葉の通じない相手に、アイリス流の細かな計数管理を浸透させていくことには苦労しました。少なくとも1年以上はかかりました。」(伊藤)

クリア収納ケースは海外の生活にも浸透した クリア収納ケースは海外の生活にも浸透した

ペット用品や園芸用品こそ生活様式の違いからやや苦戦をしたものの、クリア収納は1年も経たないうちに大ヒット。大手量販店との取引も始まり、1995年秋以降には、フル生産をしてもオーダーに追い付けないという状態になります。結果、ストックトン工場の操業からわずか2年で、アメリカ第二工場となるウィスコンシン工場の建設が決まるという、予想以上の成果を上げることができました。このIRISUSAの成功が海外展開の大きな第一歩となり、その後の中国・ヨーロッパへの進出に繋がっていくのでした。 「初めての海外工場で、本当にノウハウも何もないところから始めた会社。そのIRISUSAが発展して、しかも今こうやって、中国やヨーロッパまで海外展開が広がっている。嬉しいですよね。」(伊藤)

(第十四話に続く)

現在のIRISUSA
進出当初は日本から持ち込んだ金型による商品を展開していましたが、現在はアメリカ独自のライフスタイルに合わせた様々な新製品を開発しています。現在、ストックトン工場は操業を停止し、ウィスコンシン工場、最新鋭のテキサス工場の2工場体制となりましたが、2015年には50億円を投じ、アリゾナ州サプライズ市に新工場を設立します。新工場は今まで手薄だった西海岸市場向けの供給拠点として、また中国からの輸入基地として、LED照明事業やネット通販事業拡大のための戦略拠点とする計画です。