アイリスオーヤマは、プラスチック製品の下請け町工場「大山ブロー工業所」として創業しました。
「アイリス物語」では、現在に至るまでのアイリスグループの歴史を連載でお届けします。
第二十三話“パンデミック”への対応
2009年4月、メキシコで発生した新型インフルエンザは世界中に瞬く間に広がりました。6月にはWHOが警戒レベルを最高度の「6」に引き上げ“パンデミック(世界的流行)”を宣言しました。
5月には神戸市で検疫を除く初めての国内感染者が確認され、関西地区ではマスクが飛ぶように売れ品薄状態になりました。当社にも得意先様からのオーダーが押し寄せ、国内初感染の報道の後わずか1週間で7500万枚もの受注がありました。かつてない受注の量に工場をフル稼働させ対処しましたが、とてもお応えすることができませんでした。当社以外のメーカーも、急騰した需要に応えることができません。マスクの主要な生産期は風邪が流行し出す秋口から花粉症対策の春先までで、5〜6月は端境期にあたります。緊急増産しようにも人手や資材の確保がままならなかったのです。品薄は関西地区から全国へとすぐに広がり、世の中からマスクが忽然と消えてしまいました。

このような事態を受け、健太郎は中国工場のマスク生産能力を一気に引き上げることを指示します。秋には年初の10倍にあたる月産6000万枚体制、年末にはさらにその2倍の月産1億2000万枚体制へと生産ラインを増強しました。
世の中があっと驚くほどのスピードで増産が実現できたのは、“工場には常に3割の空きスペースを持っておく”という健太郎の経営方針があってこそでした。
アイリスグループの工場の総床面積は約90万平米と非常に広大です。その3割を常に空けておくということは一見非効率に思われるかもしれません。
しかし、工場を常にフル稼働させていたのでは、設備を増強しようにも用地取得や建物の建設に時間がかかり、即座にラインを新設することができません。常に工場に余力を持ち変化対応しやすくすることで、社会の要請に対し速やかにお応えする。それがアイリスオーヤマ流のビジネスチャンスの掴み方であり、社会的責任の果たし方でもあるのです。

このようにいち早くマスクの供給体制を整えニーズに応えたことは、お得意先様から大変高い評価を頂きました。
とりわけお取引が始まったばかりのドラッグストア業界との結び付きが強くなり、ドラッグストアを通じた様々な市場創造に繋がる重要なターニングポイントになりました。
(第二十四話に続く)