IRIS OHYAMA アイリスオーヤマ

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アイリス物語

アイリスオーヤマは、プラスチック製品の下請け町工場「大山ブロー工業所」として創業しました。
「アイリス物語」では、現在に至るまでのアイリスグループの歴史を連載でお届けします。

第二十七話東日本大震災発生 早期復旧への過程

東日本全域でガソリンが不足。関西からガソリンを手配するとともにマイクロバスを通勤手段として確保した。マイクロバスを通勤手段として確保

東日本大震災からの早期復旧を実現するための鍵となったのはガソリンの調達でした。宮城県は車社会です。仙台港の製油所が壊滅的な被害を受けたことを知ると、健太郎はすぐに関西のお取引先を通じガソリンと軽油を積んだタンクローリーを手配し、社員の通勤やお取引先への配送が滞らないようにしました。また、貴重な燃料を大切に活用するため、関東からマイクロバス5台をレンタルしました。燃料不足からガソリンスタンドには長蛇の列ができていました。通勤手段が確保できず、社員が2週間近く自宅待機せざるを得ない企業もありましたが、早めの対策により当社は復旧を進めることができました。

サーバー復旧に腐心するシステム部員達 サーバー復旧に腐心するシステム部員達

また、情報システムの速やかな復旧も早期復旧を果たすための大きな鍵の一つでした。角田I.T.Pにある基幹システムのサーバーは停電によりダウンしてしまいましたが、阪神淡路大震災で兵庫県・三田工場が被災したことをきっかけに、停電によりシステムが停止した場合には他工場のバックアップシステムに移行できる体制づくりに取り組んでいました。自家発電装置を用いて角田工場のサーバーを一時的に立ち上げ、データを三田工場のサーバーに移行。このことにより、3月15日には全ての得意先からの受注を処理できるようになりました。

国内最大級の2万6千パレットの収容能力を持つ角田工場の自動倉庫では、保管されていた大量の製品が棚から崩れ落ち床に飛散していました。復旧は床に落ちた製品を取り除くだけでは終わりません。棚に残った製品も多くは位置ずれを起こし、安全に出庫できる状態ではありませんでした。棚からはみ出した製品とクレーンがぶつかれば、互いが破損してしまう恐れがあり、製品ひとつひとつを正しい位置に手作業で戻していかなければなりませんでした。自動倉庫は高さが約30mあります。電気が通るまでは懐中電灯の明かりが頼り。社員たちは暗闇のなか、そして大きな余震の続くなか、命綱を頼りにまさに決死の覚悟で作業に取り組みました。体を動かす原動力となったのは、被災地に物資を届けたいという使命感と、自分たちの職場を取り戻したいという強い意志でした。

水道の復旧まではプールの水を利用。 水道の復旧まではプールの水を利用。

被災から約1週間後、電気が復旧してからは生産設備の復旧作業も始まりました。重さ10トン以上もある射出成型機も、地震の揺れで位置がずれ、精度が狂ってしまっていました。震災前の精度を取り戻すため、1台ごとに点検・試運転の繰り返し。なかなか水道が復旧せず、福利厚生施設のプールの水を利用して機械を動かしました。

このようにして工場の修復に努めること約10日。私たちは工場の操業を再開することができました。全国の皆様からのご支援に加え、経営者自らが現場で情報を集め判断し、明確な方針・指示を出したこと、そして人々に役立つ製品を一刻も早くお届けするのだという想いで社員が団結できたことがいち早い復旧に繋がったと考えています

(第二十八話に続く)